九州北部では線状降水帯が発生して記録的な大雨となり、川の氾濫や土砂災害が相次いでいます。

あさっての7月13日で、三条市などに大きな被害をもたらした7.13水害から、19年になります。

死者9人、床上浸水515棟、床下浸水1649棟・・・。

加茂市でも、昭和42年、44年、45年と連続して大雨による水害に見舞われ、特に、44年の水害では9人の市民が亡くなりました。

たしか、市街地の7割以上が浸水したように覚えています。

その後、加茂川の川幅を広げ、橋を架け替える改修工事には14年の歳月がかかり、約300億円の予算が投入されました。

家屋、公共施設、消防署や映画館など1200件余り移転した大工事。

その後、幸いにも加茂川の氾濫はおきていませんが、どんな大雨が降るか分からないというものです。

いずれにしても、早めの災害の備えを万全にしたいものです。

ところで、本日の致知出版『心が熱くなる365人の生き方の教科書』は、 數土文夫さんの“西山彌太郎の三つの訓戒”です。

入社した時、西山彌太郎さんはご健在で、新入社員60人に向かって語り聞かせていただいた訓辞はいまも鮮明に記憶に残っているとのこと。

それは次の3つの内容。

1.会議があるとはきは必ず5分前に来て何をしゃべるのか、何を聞くか、よく考えた上で参加しなさい。

2.しつかり勉強しなさい。

3.技術屋でも人に会え。人に会って話しを聞きなさい。

戦後、産業の基礎となる鉄の大量生産方式を日本で初めて導入し、高度経済成長の扉を開いた人が、川崎製鉄の初代社長・西山弥太郎さんとのこと。

西山弥太郎さんについて、ネットで調べてみました。

当時、誰もが構想だけで終わるであろうと考えられていた計画を実現できたのは、西山弥太郎さんに3つの要素が備わっていたからではとのこと。

1つ目・・・西山弥太郎さんは人を説得するのがうまかった。

相手を説得する際、物分かりのよい人には手短に、物分かりの悪い人にはなんべんでも分かりやすく説明するなど、相手によって話し方を変えるなど工夫をされていたとのこと。

2つ目・・・当時西山弥太郎さんが「鉄鋼業界の第一人者」との評判を得ていたことから、その理論の正しさがものをいっていたとのこと。

3つ目・・・西山弥太郎さんの謙虚で仕事一筋の人柄とのこと。

西山弥太郎さんは人間としての器が大きかっただけでなく、誰にでも優しく、周囲の人たちに愛情をもって接することができる人だったそうです。

「あなたもいつか人を使う立場になるだろう。色んな人がいるが、その人のいいところだけをみて使ってゆきなさい」は、西山弥太郎さんの最期を看取った医者が、かつて本人から直接聞いたという言葉とのこと。

本当にスゴイのひと言ですね。

西山弥太郎さんの功績は、松下幸之助さん、盛田昭夫さん、本田宗一郎さんら戦後の傑出した経営者たちに匹敵すると評価されているそうです。

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