史記からであります・・・
戦国時代、 藺相如 ( りんしょうじょ ) が、” 和氏の璧 ( かしのへき ) ” を無事に 趙 ( ちょう ) に持ち帰るという功労を収めた後の出来事。
この功労で、藺相如は、最高位である上卿 ( じょうけい ) に昇進。
その結果、趙の名将として名高い廉頗(れんぱ)は、藺相如の下に立つことに。
廉頗は武人の中の武人で、命がけで 国を守り戦ってきた廉頗は藺相如は口先だけで昇進している、嫌悪感をむき出しに。
そのため「藺相如を見かけたら 目にもの見せてやる!」と 公言するほど。
それを聞いた 藺相如は廉頗と会わないために朝廷も欠席するようにまでに。
その行動を見て藺相如の家臣達は情けなく思い「廉頗将軍を避けてこそこそなさる上卿にお仕えするわけにはいきません」と、みんなで上申するほどになったとのこと。
そこで藺相如は、「廉頗将軍と私が争った場合とちらも無傷では済むはずがない。この国が成りたっているのは 私の政策と 将軍の働きがあってこそ。私の面子など気にしていられない。」と。
その言葉を聞いた 家臣たちはハッとしたとのこと。
これまで 国を思う藺相如がいかに苦心して政策に取り組んできたかを一番近くにいる自分達が忘れ面子などといういわば私心にとらわれようとは。
そのはなしは廉頗将軍の耳にも届き、廉頗は顔を真っ赤にして一人馬に飛び乗り藺相如邸に駆けつけると上着を脱ぎひざまずき鞭をささげ藺相如向かって叫けんだ。
「浅はかな私が悪かったです。この鞭で気の済むまで私を打ってください。今後私は犬馬の労をいといません!」と。
藺相如は廉頗将軍に駆け寄り抱き起こしながら、
「将軍、今回我々の間で誤解があったようですが見事に融けました。今後もこの国のため 働いてまいりましょうぞ。」
「そうだ!このよき日に‘共に首を切られても 悔いぬ交わり’を結びましょう!」
と。
このできごとが、ことわざ「 刎頚の交わり(ふんけいのまじわり)」の語源となったとのこと。
本日われわれ会計人の学びの場、「原点の会」で学ばせていただいた内容であります。
更に、「大義・天命」VS「私情・私怨」ということについての話に。
大いに考えさせられる5時間でありました。
そうそう、もう一つ心に残った言葉が。
それは、
「大きなことを成し遂げる人は、小さなことに腹をたてない!」
いろいろな気づきをたくさん頂いた貴重な時間でありました。
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